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【転載】西東京市の「ムラ社会」的選挙が妨げる、第三極保守政党という新風

東京都の西部に位置する西東京市。この地域は、青梅街道の旧宿場町で西武新宿線沿線を中心とする田無市と、もとは農村で西武池袋線の開通を契機に住宅開発が進んだ保谷市とが平成13年に合併して誕生した、比較的新しい自治体である。

この西東京市では、合併直後に行われた市長選挙で旧田無市長の末木達男氏と旧保谷市長の保谷高範氏が争ったり(そのほかに2人が立候補して計4人の選挙戦となった)、市役所の庁舎が2カ所に分かれていたりと、かつては旧市単位の対抗意識が強かった。けれども、20年を経て徐々に融和が進んできた。

その西東京市において、去る2月7日に6回目の市長選が行われた。現職の丸山浩一市長(73)は出馬せず、後継者として副市長の池沢隆史氏(61)を指名。

その池沢氏を自由民主党や公明党が推薦する一方で、立憲民主党や共産党、東京・生活者ネットワーク(リベラル系の地域政党)が擁立したのが、左派系無所属の元逗子市長、平井竜一氏(54)である。

市区町村の首長経験者が都道府県の知事選に立候補する事例は少なくないけれども、平井氏のように、他の市区町村の首長選に立候補する事例はほとんどない。首長として自治体行政に携わるにあたっては、当該市区町村で日常的に住民との対話を重ね、地域の実情を熟知することが必要と考えられてきたからだ。

もっとも、自治体行政の責任者としては特定の支持者にばかり目を向けることは許されず、課題を見いだすためには先入観にとらわれない広い視野が必要である。

そういう識見を有する人物が各自治体の内部にいればよいが、もしそのような人物を自治体内部に見いだせない場合、行政運営のノウハウを生かすべく他自治体の首長経験者をヘッドハンティングするという発想はあり得るだろう。

今回、革新・リベラル派にヘッドハンティングされ、逗子市から西東京市に移住した平井氏が立候補を正式に表明したのは昨年11月26日。投票日まで3カ月足らずの時点であった。

それまでにも支援者から地域の課題について説明は受けていただろうが、わずか3カ月ほどで地域の実情を把握するのは容易ではない。しかし、平井氏は住民と対話を重ねる中で支援者を増やし、街頭で少なからぬ数のポスターを見かけるに至った。

そもそも、西東京市議会における保革の議席数は拮抗(きっこう)しており、さらには、旧日本社会党所属の都議会議員であった坂口光治氏が2期8年間にわたって市長を務めたことがあるなど、革新・リベラル派の影響力は大きい。

一方で、当時の現職である丸山市長および彼の与党であった自公の動きは遅かった。丸山氏の3選出馬も予想されていたが、対抗馬である平井氏からの「高齢」批判を恐れてか、12月19日になってようやく池沢氏を後継者として擁立する。

通例なら、現職市長から後継指名を受けた池沢氏が有利に選挙戦を展開するのであろうが、初動が遅れた上に、自公両党の衆議院議員が緊急事態宣言下に銀座のクラブを訪れたことなどが逆風となりつつあった。そうした背景もあり、池沢氏の陣営は危機感を抱いたのだろう。

後援団体である「明日の西東京を創る会」名義のもと、新聞記事を引用する形で逗子市長時代の平井氏を酷評するビラを配布したのだ。その内容自体は市民に対する情報提供として参考になる。しかし、そのビラの締めくくりに記載されていたのは「西東京市のまちづくりは、西東京市民の手で/共産・左翼に市政を渡すな!!」という文字で、ここには政策との関連性が見られない。

もし「共産・左翼に市政を渡すな!!」と主張するなら、平井氏が逗子市長時代に市内の旧池子弾薬庫跡地に建設された米軍住宅の増設を巡り、「環境破壊」だとして反対した前歴こそ掘り下げるべきであったろうが、ビラでは財政問題しか取り上げていなかった。

その上、ビラには「逗子での失敗のリベンジは逗子でやって下さい。ここは西東京市です」と青地に白抜きで書かれている。「西東京市のまちづくりは、西東京市民の手で」という表現と併せ、こうした「よそから来た新参者は黙っていろ!」と言わんばかりの表現は、自らの既得権益を守ろうとする「ムラ社会」の論理丸出しで、池沢氏の対応はかえって有権者の反発を招いたようだ。

結果として池沢氏は約1500票差で辛勝したけれども、2月28日に始まった市議会では、このビラの内容を巡る質疑で議事が紛糾しているという。

現在の西東京市の人口は20万人を超えるけれども、公団住宅の代名詞と呼ばれる市内の「ひばりが丘団地」が竣工した昭和35年時点の田無町・保谷町の人口が合わせて8万人弱であることからして、この地域は高度成長期以降に他自治体から移住してきた人々が多いと思われる。

また、西東京市の昼夜間人口比率が80%弱であることと考え合わせると、新参者の大半はサラリーマンや学生として市外に通勤・通学していると考えられる。地域の発展を目指すなら、こうした新参者の知見や人脈などを活用することが重要であるにもかかわらず、池澤氏の陣営は内向きの態度を鮮明にしてしまった。

そうした狭量さの背景には、池沢氏擁立の中心となった自民党の地方支部関係者(市議会議員)の大半が長きにわたり地元で事業を行ってきた自営業者で、サラリーマン世帯を中心とする新参者の利害には関心がないことがあげられよう。その上、「保守」政党を自任する自民党に所属していながら、確固たる国家観を有しているようには見えない。

対する革新・リベラル派の活動家(市議会議員)は、その構図から排除された新参者を意図的に取り込もうとしてきたものの、その反国家的なイデオロギーを捨てきれないゆえに支持拡大には限界がある。

自民党の地方支部関係者および革新・リベラル派の活動家を巡る事情は西東京市に限らず、隣接する武蔵野市においても同様だ。菅直人元首相の地元である武蔵野市においては、革新・リベラル派勢力が強く、6期にわたって武蔵野市長を務めた土屋正忠氏が自民党から衆議院議員となってから現在までの15年あまりにわたり、武蔵野市では革新・リベラル派主導の市政が続いている。

こうした内向きの「ムラ社会」保守とイデオロギーにこだわる革新・リベラル派の対立構図の下で、最も割を食うのは保守的な心情を有する新参者だ。これらの人々は、新参者であるがゆえに「ムラ社会」から排除され、保守的であるがゆえにリベラル派にくみすることもできない。その結果、自らが納めた住民税の使途をチェックする機会が奪われてきた。

この新参者の潜在的パワーを取り込もうとしたのが、シンボリックなテーマを掲げて支持を集める旧みんなの党や日本維新の会など「第三極」を掲げた政治勢力である。けれども新参者は地縁でつなぐことができないために組織化しづらく、シンボリックなテーマを掲げて支持を集めるという「ポピュリズム」の手法を取らざるを得なくなる。

その結果、国会においては一定の勢力を確保する一方で、それに見合うだけの影響力を地方議会において確立できなかった。そのため、結局みんなの党は瓦解(がかい)し、日本維新の会も大阪府以外では存在感を発揮し得ていない。

現時点において、保守的な心情を有する新参者が地方政治に自らの声を届ける術は存在しない。地方自治体の首長や議員の選挙における投票率が向上しないのは、そのためだ。

もし、自民党の地方組織が新参者の声を拾い上げる努力をしたり、立憲民主党の地方組織が保守層に羽を広げる努力を行ったりすれば、新たな支持層とすることができるだろう。しかしながら、両党の現状を見る限り難しいと言わざるを得ない。

こうした状況が続いてきたのは、サラリーマン家庭においては健康保険や年金に関する手続きが勤務先を通じてなされているため、市区町村とやりとりするのは自分の子を保育園や幼稚園、さらには公立の小中学校に通う時ぐらいであり、地方行政の実態に触れることが少なかったからだ。そのため、学生や単身者、あるいは結婚していても学齢期の子どもの居ない者が地方自治体のことを意識する機会はほとんどない。

けれども、コロナ禍に端を発する在宅勤務の普及や外出自粛の風潮により、人々は自らが生活する場の環境を重視するようになった。当然のことながら、地方自治体の運営に関心を抱く者も増えていくに違いない。そうした動きに首長や議員、さらには職員が真摯(しんし)に向き合おうとしなければ、議員定数の削減は言うに及ばず、地方自治体の在り方そのものに疑いの目が向けられることになるだろう。

〔初出・産経デジタル『イロンナ』〕

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