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【転載】コロナ禍に翻弄される大学は『学問の府』としての矜持を保てるか

コロナ禍は社会生活に大きな影響を与えたが、大学も同様である。私は都内の私立大学で日本思想史を教えているが、昨年4月の新年度開始以来、学生や教職員の大学構内への立ち入りが制限され、キャンパスでの講義のほとんどはオンラインを活用したリモート方式で行われている。

リモート方式による講義は2種類あり、一つはLMS(学習管理システム)のWEB上にレジュメと課題を掲出し、学生に自学自習してもらうオンデマンド方式。もう一つはZoomなどのWEB会議システムを用いて、定められた時間帯に講義を行うライブ方式である。

私じしんは、大学暦における前期開始の4月からは前者の方法で、夏休み明けの後期には後者の方法で講義を行ってきた。前者においては掲出する資料や課題の量が多すぎて受講生が消化しきれなかったり、後者においてはプライバシー保護の観点から受講生が顔出しをせぬために、反応が分からぬまま一人芝居のようにしゃべり続けたりと、従来の対面方式と勝手が違うため苦労した。

もちろん悪い点ばかりではない。外せない用務により所定の時間帯に講義ができぬ場合は、従来ならば休講にして補講をするしかなかった。しかし、オンデマンド方式なら休講にする必要はない。

前述の問題点にしても、大学主催のオンライン研修、あるいはフェイスブックに開設された「新型コロナのインパクトを受け、大学教員は何をすべきか、何をしたいかについて知恵と情報を共有するグループ」で所属の垣根を越えてノウハウを共有し得たため、何とか本年度を終えることができそうだ。

ただ、それは私の受け持っている講義が知識伝達型のものであったからかもしれない。理系の実験や専門技能の実技など、身体を実際に動かすことが必要な演習の担当者は苦労したのではないか。

宗教系大学に勤務する知人からは、「宗教儀礼における奉仕者の作法をリモートで学生に実習させる方法を考えている」という話を聞き、その難しさに同情したものだ。

令和2年度は学生にとって、いかなる一年だったろうか。実験や専門技能の演習をリモートで受講することは、受ける側にとっても困難を伴っただろう。コロナ禍の第2波が終息した後期において、文部科学省の要請を受けて多くの大学が実験や演習を中心として対面方式を再開したが、それは当然の対処であった。

一方、知識伝達型の講義については、講義担当者の不慣れさに起因する課題を除けば大きな問題はなく、遠距離通学や郷里を離れての一人暮らしをしていた者からすればかえってよかったかもしれない。さらに言えば、そうした状況を悪用する学生もいる。先に述べた通り、ライブ方式の講義では顔出しをせぬため、寝床で横になった状態だろうと、別のことをしながら講義を受けようと教員からは分からないのだ。

大学生活には講義のみならず、図書館で文献を調査したり、学生食堂で友人と語らったり、課外活動に打ち込んだりといったことが含まれるが、大学構内への立ち入りが制限された結果、こうした講義に付随する部分にさまざまな影響が出ている。

このうち、しばしば言及されるのが課外活動に与える影響だ。確かに、大学構内にサークルがテントを並べるという見慣れた光景は展開されなかった。けれども、各サークルはインターネットで趣向を凝らした勧誘活動を展開したようだ。さらに言えば、そもそも課外活動は文字通り学課以外の活動である。もちろん、運動部を「広告塔」とする私立大学は存在するが、これは経営上の理由であって、「学問の府」という大学の本来的役割からすれば「なくてもよいもの」だ。

「学問の府」という観点からは、図書館に与える影響の方が深刻だ。入館は可能であるけれども事前予約が必要になり、提供されるサービスにも制約がある。厄介なのは、自分の所属大学に必要としている文献がない場合で、他大学の関係者を受け入れている大学図書館はほとんどなく、郵送で取り寄せるにしても通常より時間を要する。

国会図書館も抽選予約制となっており、講義を聴くというより自力で研究を進めることが求められる大学院生にとっては極めて不都合な状態と言えよう。

また、学生を主たる顧客とする学生食堂や近隣の飲食店は売り上げが減少し、存続の危機に陥っているという。さらに一人暮らしの学生を対象とした大学近辺のワンルーム・マンションも空室が増えているそうだ。

コロナ禍が終息した後、こうした大学の状況は旧に復するであろうか。リモート方式には時間や空間の隔たりを解消できるという利点があるため、全ての講義を対面方式に戻すことにはならないだろう。

まず、大教室が不要となる。これまで大教室で行われてきた一般教養を中心とする知識伝達型の講義は、対面方式とリモート方式を組み合わせたハイブリッド方式が採用されるだろう。スタジオに観客を入れ、テレビ番組を収録するのと同様のスタイルである。

履修登録者の何割が直に教員の話を聞くかは分からぬが、受講者全員が教室に足を運ぶとは思えない。ただ、WEBと対面双方を用いたハイブリッド講義を実施するにあたっては、WEB会議システムを搭載したパソコンを各教室に設置するだけでなく、アクセスが集中してもダウンしないサーバーを構築するなどの設備投資も必要になる。

また、プロ野球の試合を複数の放送局が相乗りで中継する場合と同じく、一人の教員による講義を複数の大学がオンライン上でシェアすることも考えられよう。これにより、受講者数が多いとは言えない課目を開講するために雇用してきた教員が不要となる。これは私たち教員の側からすると、余人に代え難い魅力的な講義を展開しなければリストラの対象になるということだ。

加えて、学生が大学構内にとどまる時間が短くなるため、学生食堂をはじめとする福利厚生施設の必要性が薄れる。福利厚生施設を縮小することになれば、現状の敷地を維持する必要がなくなり、遊休地となった敷地を売却することも考えられよう。

以上は一つのシミュレーションであるが、民間企業において在宅勤務の推進や本社機能の地方移転などが進められている現状からして、大学もまた「ウィズ・コロナ」あるいは「アフター・コロナ」の時代に対応することを余儀なくされるだろう。

そして時代の変化に対応した施策を打ち出すには相当の資金力が必要だが、少なからぬ大学が財政的に厳しい状況に置かれている。文部科学省が昨年10月に公表した「私立学校の経営状況について(概要)」を見ると、全国に593校ある大学のうち、31・0%が定員を充足しておらず、36・3%が赤字決算であるという。要は志願者に比して大学が多すぎるのだ。

志願者を増やそうにも、令和元年度における18歳人口は約117万人で、これは第1次ベビーブーム世代が18歳を迎えた昭和40年代前半における約240万人と比べて半分以下である。

加えて、大学進学者数は昭和40年代前半の30万人にくらべて令和元年度は約60万人と倍増し、大学進学率は12%強から50%強へと4倍になっており、これ以上の志願者増は見込めない。

こうした状況を打破しようと、一部の私立大学は外国人留学生を積極的に受け入れているが、多数の留学生失踪問題が明るみになった東京福祉大、十分な日本語能力のない留学生を受け入れた札幌国際大など、悪質な事例も散見される。後者については、その事実を問題視し、当時教授であった民俗学者の大月隆寛氏を懲戒解雇するなど現在も混乱が続く。

その大月氏はニューズウィーク日本版のWEBサイトに寄稿した、「かくて私は教授を『クビ』になった 大月隆寛、地方大学の窮状を語る」の中で、「『自己責任』の正義任せに大学の淘汰(とうた)が叫ばれ、大都市圏の大規模大学だけが生き残り、地元に根差した小さな教育の場は国公立・私立を問わず枯れてゆくばかり」と嘆いている。

今回のコロナ禍は、このような状況に拍車をかけるであろう。そうした中で、今後大学という場をいかにしていくべきか。未来の日本を担う若者たちの精神形成にも関わる問題である以上、当事者に丸投げするのではなく国民全体による議論が必要だ。

〔初出・産経デジタルiRONNA〕

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