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【転載】日蓮聖人御降誕八百年の佳節にあたり

八百年前の承久三年(一二二一)、安房国の漁村で暮らす女人の胎内に新たな生命が宿りました。そして、翌年二月十六日、男児が誕生して善日麿と名づけられます。その後、彼は仏教を学びますが、その過程で、なぜ仏教は多くの宗派に分裂しているのか、そして、なぜ承久の乱において後鳥羽院の率いる朝廷は北条氏を中心とする鎌倉幕府に敗れたのか、という疑問を抱いたのです。

研鑽を重ねた結果、あらゆる宗派を統一する基盤を法華経(妙法蓮華経)に見出した彼は、自ら「日蓮」と名乗って、他宗を批判したり、『立正安国論』を幕府に建白したりなど、「法華経の行者」として旺盛な活動を展開し始めます。そうした活動は、他宗の不興を買い、あるいは権力者からの弾圧を招きましたが、仏法に基づく理想社会を現世に樹立することを自らの使命であると考えていた聖人は、そうした「法難」に屈することはなかったのです。

聖人が活躍された時代と現代とでは、社会における宗教の位置づけも、政治権力の構造も、大きく異なります。だが、宗教や国家の在るべき姿を真摯に探究し、そこで得られた確信を臆することなく世に問い続けた聖人の御営為は、今なお色褪せることはありません。

そうした聖人に少しでも倣うべく、弊研究所としても本年も様々な活動を展開して参る所存です。読者諸兄姉におかれましても、御支援・御協力のほど宜しく御願い申し上げます。

〔初出・宗教新聞(令和3年1月10日)〕

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