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少年時代の疑問と後の人生

10月29日に行われる明治150年記念シンポジウムの打ち合わせを兼ね、パネリストとして御登壇下さる松元崇氏と会食させて頂いた。
松元氏は東大法学部から旧大蔵省に入省し、内閣府事務次官まで務められた一方、地方自治や財政に関する書物も出版されるなど優秀な方だ。
松元氏は筑波大学付属駒場中高(旧・東京教育大学附属駒場中高)の先輩ということで在学中の話も少し伺ったが、その中で「Hという先生は君の時も居たのか」と問われ、「中学校3年生の時に(マルクスの)労働価値説について解説されたが納得できなかったので、生物学者志望だったのが東大の法学部に行き、今に至る」という趣旨のことを仰った。なお、同期生である慶応義塾大学教授の金子勝についての話も出た。
この日共党員であるHとは、私もガンガン遣り合ったクチだが、私が最も疑問を抱いたのは同じく中学校3年生の時に聞かされた「社会契約論」だった。というのも、社会契約論では天皇陛下の御存在が説明できないと少年ながら思ったからだ。
片や労働価値説に疑問を抱いたことを契機として財政の実務に携われた松元氏、片や社会契約論に疑問を抱いたことを契機として国体研究を続けている私、同じ教師の授業を聞いても、疑問に思うところは人それぞれで、なおかつ少年時代の疑問が後の人生に影響を与えるものだと改めて感じた次第。
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