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【講演要旨】「三島由紀夫と国体論」(下)

 三島由紀夫研究会のメルマガ『三島由紀夫の総合研究』(平成24年8月22日)において、去る7月30日に行った講演要旨の後篇がまとめられ配信されていましたので、前の記事に引き続き御紹介させて頂きます。

▼三島由紀夫の国体論

「私見によれば、言論の自由の見地からも、天皇統治の『無私』の本来的性格からも、もっとも恐るべき理論的変質がはじまつたのは、大正十四年の『治安維持法』以来だと考へるからである。すなはち、その第一条の、『国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ……』といふ並列的な規定は、正にこの瞬間、天皇の国家の国体を、私有財産制度ならびに資本主義そのものと同義語にしてしまつたからである。この条文に不審を抱かない人間は、経済外要因としての天皇制機能を認めないところの、唯物論者だけであつた筈であるが、その実、この条文の『不敬』に気付いた者はなかつた。(傍線編集部)   正に、それに気づいた者がなかつた、といふところに、『君臣水魚の交り』と決定的に絶縁された天皇制支配機構が呱々の声をあげるのである。   国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、日本の近代史においては、一度もその本質である『文化概念』としての形姿を如実に示されたことはなかつた。   このことは明治憲法国家の本質が、文化の全体性の侵蝕の上に成立ち、儒教道徳の残滓を留めた官僚文化によつて代表されてゐたことと関はりがある。私は先ごろ仙洞御所を拝観して、こののびやかな帝王の苑池に架せられた明治官僚補綴の石橋の醜悪さに目をおほうた。
  すなはち、文化の全体性、再帰性、主体性が、一見雑然たる包括的なその文化概念に、見合ふだけの価値自体(ヴェルト・アン・ジッヒ)を見出すためには、その価値自体からの演繹によつて、日本文化のあらゆる末端の特殊事実までが推論されなければならないが、明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な立憲君主政体へと押し込められて行き、政治的機構の醇化によつて文化的機能を捨象して行つたがために、つひにかかる演繹能力を持たなくなつてゐたのである。雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合ふだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の真姿である文化概念としての天皇に到着しなければならない。……   このやうな文化概念としての天皇制は、文化の全体性の二要件を充たし、時間的連続性が祭祀につながると共に、空間的連続性は政治的無秩序さへ容認するにいたることは、あたかも最深のエロティシズムが、一方では古来の神権政治に、他方ではアナーキズムに接着するのと照応してゐる。
 『みやび』は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであつたが、西欧的立憲君主政体に固執した昭和の天皇制は、二・二六事件の『みやび』を理解する力を失つてゐた。」〔三島「文化防衛論」〕

 以上長々と「文化防衛論」を引用したが、三島は「国体」を「文化の全体性」との関わりで捉えようとする。そして天皇を、文化を文化たらしめる超越者として位置付ける。 ところで三島がいうように、当時治安維持法の「不敬」に気付いた者は本当に居なかったのか?また明治憲法と文化の全体性については三島と橋川文三との論争があった。いうまでもなく三島の二・二六事件に対する肯定的評価は『憂国』や『英霊の声』の核心である。

▼里見岸雄の国体論

「もはや、到底、一片の講演会などで、思想の取締は出来ないと悟つたところへ、一方無産者運動が急激になり社会主義思想が駸々としてその陣営を進むるや、ブルジョア政治家は、つひに、大正十四年、かの治安維持法なるものを公布した。その第一條に/国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス/とあつた。これ当時、左陣営から、盛んに悪法として攻撃されたもの、吾人等又、当時、国体と私有財産制度とを同架に置くの甚しき不法なることを論じたものである。神聖なる国体は、かくして、ブルジョア階級の自己防衛の具に悪用された。……(昭和三年の帝国議会により両者の区別を試みたものの―引用者補足)    国体と私有財産制度とを、殊更にかく近接事項として取扱ふ用意の中にブルジョア精神の国体利用が看破せられるのである。為政者のブルジョア擁護のこの態度が、ただでさへ生活苦の為に眼くらんだ無産階級思想運動者流に、いよいよ日本国体即ブルジョア主義組織といふ心證を強調するであらう事は余りに明白だ。無産階級の国体即資本主義制度観が無智に基いたものであるにしても、強いて国体をブルジョア擁護の楯の如く取扱ふ者共の不都合はまさに日本国民の名に於て糾弾すべき国体冒涜罪である。為政者みづから心なき国民をして国体と私有財産制度とを混同する様に導いてゐるこの不都合を何で黙過し得よう。日本国体は断じて私有財産制度と混同さるべき者ではなく、又、近接して同架に取り扱れ得べきものではない。私有財産を否認する事によつて脅威を感ずるものはただ私有財産によつて生活を享楽してゐる者丈である。   この一部の有産階級の利害に関する問題と、萬世一系の天皇を全社会的生活の人格中心として奉戴する事を破壊せんとする行為とを、あはよくば、結合せんとするが如き卑劣不都合なる心事を容認する事は、真に一君万民主義者のよく為し能はざるところでなければならぬ。」〔里見岸雄『天皇とプロレタリア』(昭和四年)〕

以上のように里見は治安維持法の「不敬」に気付いていた。さすれば三島は里見の著作を読んでいないのではないかと推測できる。

「吾等の創造すべき無比の国体は、刻々の現実に存せねばならぬ。若しもこの現実に創造すべき何の国体もなくただ過去の伝統と光栄とを保守してゐる丈けなら、国体は、社会の進化と共に、人間生活の行動の変遷と共に無意味にならざるを得ないではないか。国体は永遠に吾人の行動の中に把握されねばならぬ。刻々に変化しゆく高速度テンポの社会に、つねに清新なる人格的共存共栄の実をあげてゆく人格的創造の中に、仰いでつきず、望んで涯しなき日本国体の真の栄光は輝くのだ。吾人は今日にあつて、徒らに過去の国体美を懐古主義的に讃歎してゐるのが能ではない。現代の社会に、いかにせば万邦無比の国体を実現し得べきかといふ事こそ、吾等の生活の中に要求せられつつある実際問題だ。神国といふも、過去の神国観念では駄目である。いかに現実社会が神国的であるかが必要だ。世にこれほど明瞭な国体論は無い筈だのに、群盲、象を探るの慨あるは、皇国の為め切に憂ふべきことである。

 世に類稀なる万世一系も、亦宇内に冠絶せる皇徳も、克忠克孝も、みな、万邦無比の国体の一断面であつて、それぞれに独立して、それ一つで万邦無比の国体なのではない。古来の民族その他の伝統も、国家秩序の組織も、皇室も臣民も、思想も生活も、その悉くが、綜合され協力冥合して、人格的共存共栄態を実現しようとする無限の意志と努力との中に、万邦無比の国体の胎生もありその生長、完成も期して待ち得るのである。」〔里見『天皇とプロレタリア』(昭和四年)〕

 以上述べられた里見岸雄の国体論によれば、「国体」とは(文化を含む)諸現象の総体ではなく、それらを生み出す「究極的基盤体」と捉える。また「天皇」とは即「国体」ではない。「国体」とは既に完成しているものではなく、生命弁証法に基づき常に生成発展し続けるものということになる。

▼皇位継承問題について
最後に時局的な話として、いわゆる皇位継承問題について触れておきたい。まず里見岸雄博士の皇位継承論は要約すると次の如くなる。

  1. 男系男子による継承が原則である。里見博士の戦前に書いたものを読むと男系継承が絶対であり、女系継承の可能性に触れたものは一切ない。しかし戦後になって旧十一宮家の臣籍降下があってから、里見博士の考えは少し柔軟にかわってくる。(昭和22年頃の論文)
  2. 男系男子による継承が困難となったときは男系女子の継承を認め、皇統出自の名族より皇婿を迎えるものとする。但し里見の書いたものを読むと、一般民間人からの入夫を完全に排除しているわけではないと読みとれる。
  3. 一方で里見は臣籍降下した者の皇籍復帰は望ましくないとも述べている。その背景として平安時代において一度臣籍降下した皇子を皇籍に復帰させて即位させた例(宇多天皇)があるが、これは藤原基経の政治的思惑によるものであったからであると指摘されている。
  4. 傍証としては、法華経における男女平等思想が里見の思想の基にあったことは想像に難くない。

またこれに対して、私の皇位継承問題に対する考え方は以下の通りである。

本来、この皇室典範にかかる問題は勅裁を以て決すべきことであり、国民としては議論を尽くすことしかできない。またその必要がある。ただ現状は男系派も女系派も自分の反対意見を罵倒したり、冷静な議論が行われていないのは残念である。

個人的には女系継承イコール「国体」破壊とは思わぬが、男系男子主義を尊重する見地から旧皇族系一般国民男子の皇籍復帰可能性についても検討することは必要だと思う。その際には、皇族身位令など旧法の精神を斟酌すべきであろう。 (おわり)

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