個性を有(も)つと云うには、過去未来を包む絶対現在の自己限定として、動いて動かざる、何処までも自己自身を維持し、自己自身を形成する形でなければならない。これが個性と云うものである。故に民族が単なる生物的民族を越えて、一つの世界として自覚するとき、即ち歴史的形成的なる時、それが個性的である。而して民族が斯く個性的となると云ふことは、それが歴史的形成的であり、歴史的使命を担うということでなければならない。国体とはかかる国家の個性である。国家は国体を有し、国体を有するものが国家であるのである。単に特殊的な民族的生命の上に国家の名を冠すべきではない。個性的に歴史的形成的なるもののみ、世界に対して、真の国家として独立権を要求し得るのである。
JR七尾線・宇野気駅からタクシーを西側に5分ほど走らせると、丘の上に西田幾多郎記念哲学館の建物が見えてきた。設計者は安藤忠雄だという。
河北郡宇ノ気村(現・かほく市)に生まれた西田幾多郎は、『善の研究』など多くの著作を残し、日本を代表する哲学者として世界的に名の知られた人物だ。当然ながら郷土の偉人であり、駅前には銅像が建てられている。
1時間ほどかけて展示を見て回った。難解な西田哲学を咀嚼し、何とかして観客に伝えようという意欲が窺われる。色々と興味深い展示があったけれども、個人的には西田の肉声が印象的だった。
館内の喫茶室で遅めの昼食をとった後、図書室を覗いてみる。西田に関連する文献を中心に五千冊以上の蔵書があるという。ぼんやりと書棚を眺めていると、『西田幾多郎 日本論集』という本が目に付いた。冒頭に掲げたのは、そこに収録されていた「哲学論文集第四補遺」という著述の一節である。
「哲学論文集第四補遺」とは奇妙なタイトルであるが、もともとは「国体」というタイトルで昭和19(1944)年2月に書かれたものだ。当時は偏狭な国体論が横行しており、西田に対する風当たりも強かった。そのため、目立たぬタイトルに改めたと言われている。
ここで重要なのは、「動いて動かざる、何処までも自己自身を維持し、自己自身を形成する」という部分だ。闇雲に動けば良いものでもない。また、立ち止まり続けても駄目である。静と動との狭間で自己を形成する中に、「個性」があるのだと西田は言う。また、そのような「個性」は国家にもあり、それが「国体」であると西田は言う。国家もまた静と動の狭間で「国体」を形成していくのだ。
とするならば、ある一時期における「国体」のありようを絶対視し、一切の変化を許容しないという態度は知的頽廃以外の何物でもない。それは、結果的に「国体」を死物にしてしまうのだ。